早稲田大学を目指して浪人していた1979年、ひきたよしあきは同年7月に出版された村上春樹氏のデビュー作『風の歌を聴け』を読んで衝撃を受けました。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」と始まるこの小説は、大学生の「僕」が海辺の街に帰省した夏を描いた短編です。すべてメタファーで描かれているため、地名も大学名もどこにも出てきません。しかし、そこに住んだ人間、学んだ者には、ありありと情景が浮かんできます。

村上氏と同じく西宮市で育ったひきたよしあきは、「早稲田大学に入ったあとの自分」をこの新しい小説の主人公と重ね合わせて夢中で読みました。以来、村上文学は精神性の中心にあります。

その村上春樹氏の著作や執筆関連資料、氏の蒐集したレコードなどを集めた早稲田大学 国際文学館、通称「村上ライブラリー」を、梅雨の合間の青空が広がる6月23日(金)に訪れたひきたよしあき。

事前予約をして入館した受付には、流暢な日本語で案内をするブロンドの髪の女性が。まるで北欧のミュージアムに来たような錯覚を起こします。予約なしの列に並ぶ人もすべて外国人。欧米系の男女にアジア人女性で、みんな「ハルキスト」特有のスノッブな雰囲気が漂っています。

館内には、世界中で翻訳された村上作品がずらり。世界50以上の言語で著作が翻訳されている村上春樹氏。あらためて世界的な作家であることを思い知らされます。

年表を眺め、『風の歌を聴け』から先日発売された『街と不確かな壁』までの時間が早稲田の学生だった頃から今日までとぴったり符号することに、自分の人生と村上文学の関わりを実感するひきたよしあき。その長い年月と歩みに思いを馳せ、しみじみとします。

地下に降りると、学生が運営するカフェ「オレンジキャット」が。こちらでは、村上文学に欠かせないドーナツはもちろん、パスタなどの食事やスイーツ、ハンドドリップコーヒーなどが楽しめます。村上氏も早大生時代にジャズ喫茶を経営されていたんだよな、などと思いながら店内を眺めると、集っている学生たちも文学好きらしい静謐さと知性をまとっています。コーヒー片手に静かにMacに向かう留学生や日本人学生の姿に、早稲田大学がどんな方向を目指しているのかを垣間見ることができました。

さわやかな風が吹き抜ける早稲田キャンパスを久しぶりに歩いて驚いたのは、女学生の多さ、留学生の多さです。シンプルな装いの中に知性とセンスを感じさせるスマートな佇まいの学生、歩いているだけで英語や中国語が聞こえてくるキャンパスは当時とは別世界のようです。
「バンカラ」なんて言葉はもはや死語。駅前の居酒屋で「都の西北」を歌っていたひきたよしあきは「これが、いまの早稲田か…」と隔世の思いです。


それでも、ミュージアムを出て少し先にある大隈記念講堂と大隈重信像は、今も昔も変わらぬ姿。

「集まり参じて 人は変われど 仰ぐは同じき 理想の光」
という校歌のフレーズが、初夏の風の中から聴こえてくるようでした。