3月25日に開催された類塾×ひきたよしあき特別講演会「親も子も話すこと、書くこと、自分が好きになる!〜言葉のマグネットで自分の言葉の世界をひろげよう〜」に先立って行われた、ひきたよしあきと、齋藤 仁巳 先生(株式会社類設計室 教育事業部 次長/文系講師)、山根 教彦 氏(株式会社類設計室 経営統括部 経営企画課長/人材課長)との鼎談のもようを、5回にわたってお届けします。

今回は第2話「親は自分の子の良い点を探す力が発揮できているか/エールを贈る」です。

左から、齋藤 仁巳 先生、ひきたよしあき、山根 教彦 氏

【目次】
第1話 入試の先にある言葉の使い方/体験のストックをして、そしてそれを考えた経験があるか
第2話 親は自分の子の良い点を探す力が発揮できているか/エールを贈る ←いまココ
第3話 探求しよう/シンプルに自分が思ったことを書けることがだいじ/社会の中での読解力も身に着けたらもっと楽しくなるよ
第4話 言葉を駆使して生きる力/体と心と頭がつながった言葉/大谷翔平のどこが素晴らしいかということを僕たちは教えていかないといけない
第5話 イタリアの校長先生の言葉/好きな色を自由に決められることが勉強/みんなが笑って暮らせる国へ

■■親は自分の子の良い点を探す力が発揮できているか/エールを贈る■■

――読解力をつけるにはさまざまな体験、それは自分にとってつらくてイヤなことも含めてする必要や、自分と異なる価値観の人とも交流を持つことが必要だと。いっぽうで、傷つかない、傷つけないということに子どもたちは腐心しているという現実もある中で、どうすればいいのでしょうか。

山根 親御さんはどういう意識の方が多いと感じますか?自分の子どもに失敗をさせないようにしたがる親御さんがいらっしゃるのはよく聞きますが、最近ある先生から「そろそろちゃんと失敗をさせないといけないと思っていて、どう失敗させましょうか」という相談を受けたとも聞いたんです。その親御さんは、受験で失敗したときのことを心配していらっしゃるらしいのですが、それもなんか違うんじゃないかと。結局、親側から何か作り与えるということではないのではないかなぁと、僕はそのとき思ったんですけど、そういうのを現場で感じることってありますか?

斎藤 めちゃくちゃ感じます。でもいまはやっぱり、基本的に子どもの失敗は自分の失敗になってしまうので、親御さんは子どもに失敗させないようにという意識は強いですね。

山根 子どもの失敗が親の失敗になる?

ひきた 子育てに失敗したってすぐ言うもんね。

――それって子育てをワンオペでやっているという意識があるからですかね。昔みたいにおじいちゃんおばあちゃんがいて、近所の人とも交流があって、どこかのおせっかいなおじさんやおばさんがいて、隠居のおじいさんが子どもを叱ったりほめたり、親にアドバイスをくれたりというような大きなコミュニティで子育てができたら、自分の失敗とは思わないんじゃないでしょうか。

齋藤 いまでも地方の、学校を中心として地域の人たちがみんなで子育てをしているところは学力も高いんです。みんなで一体になって子どもたちに生きる場を与えて、生きる力をつけていこうということができているけど、都会ではなかなかそれができない。しかも、先ほどおっしゃったように子どもたちは、仲間関係、友達関係というものが窮屈というか、楽しくなさそうなんです。でも、それが普通になっているから、楽しくないとも言わないんです。

ひきた 千代田区の小学校の先生から聞いた話では、イジメっていま小学校2年生くらいが多いらしいんです。でもそれは子どもたちが自発的にいじめているわけではなくて、保護者がLINEとかで「あのお母さんどう思う?」と仲間はずれにするって言うんですね。それを見た子どもは、お母さんがやっているから良かれと思って、仲間はずれにされたお母さんの子どもを仲間はずれにする。これは極端な例かもしれないけども、やっぱり親のそういう態度はすごく子どもに影響する。学年が上がればそういうことではないということが子どもにもわかるんだけど、低学年にとって親は絶対だから。

で、そういう経験を低学年でしちゃうと、「絶対に仲間はずれにされないようにするには」と自分の中で切り詰めていってしまうんですね。そうすると、萎縮した、本音を語れないという世界になってきますから、そこでの受験勉強というのは本当に情報処理になっていってしまう。

そうなってくると本来の受験とも、本来の勉強ともぜんぜん違うものになっていってしまうし、そういう環境の中で、子どもから本音を引き出すとか、子どもの言語能力を高めていくというのは相当難しい。親が、自分の子育ては失敗だと思ったら、その子どもはのびのびと本音を言うような気持ちにはなれないと思います。

齋藤 ひきたさんの講座は、親が受けてもらったほうがいいですね。

ひきた 僕は『親塾』という本を書いているんですけど、もしかすると僕の子ども向けの本の中ではいちばん売れているんじゃないかな。だけど、それくらい親というのは子どもにとって大きな存在なんですね。

僕のところにあるお母さんが「うちの子、こんな作文しか書けないんです」と言って作文を持ってきたんです。「しっちゃかめっちゃかで何が書いてあるかわからないし、学校の先生からも作文力がないと言われた」と。でも、読んでみるとカギカッコの中におじいさんの言葉やおばあさんの言葉が入っていてめちゃくちゃ伝わってくる。つまりその子は声を聞き分けて書くことができるんです。ということは会話文がめちゃくちゃうまいわけ。会話文がうまいということは人の話を聞く能力があるということじゃないですか。文章全体の構成は確かに悪いんだけど、その子は書き分ける能力がものすごくある。「お母さん、そういうところまで見てますか?」と言うと「こんなのそんなにうまいんですか?」という話になってしまう。

親というのは、自分の子どもに対してすごく厳しい目で見るんだけど、その中からその子の良い点を探すということに対して、力が発揮できていないんじゃないかと思う。欠点を見つける2倍3倍の力を使って長所を探さないと、自分の子どもの長所って見つけられないんですよね。だから、そのあたりの親の力というものもすごくだいじなんです。

齋藤 親も子どもも、とにかく周りの目が気になって本心を出せないというベールがあるのですが、今日の講演では子どもたちに、周りの人を傷つけず、自分も白い目を向けられることがない、自信がつく本心の出し方を伝授していただけるとうれしいです。

ひきた これは今日話そうと思っているのですが、僕がいた博報堂という企業はアイデアを出さないといけない会社なんです。営業の人もバイトの人も、役職が上の人も入社したばかりの人もみんなアイデアを出さなければいけない。それってやっぱり勇気がいるし、恥ずかしいんだけど、あの会社が優れているなと思うのはアイデアを出してくれた人には必ず拍手をするわけ。出されたアイデアはつまらないかもしれないけど、その勇気にはいつもエールを贈るというのが会社の伝統だったんですよね。

僕は独立してからいろんな会社に行ってみて、この伝統のないことの窮屈さ、つらさを感じるわけです。だから僕の講義では、大阪芸大でも明治大学でも、発表した人には拍手を贈るということをやっています。そうすると、拍手を浴びたくて発表したり、この場には批判的な人がいないとわかった瞬間に自由に発表するようになることがある。まずは心理的安全性を保つ意味でみんなでエールを贈ること、その上で発表内容の個性や長所を見つけるようにしていくと、だんだんと自信がついていくと思います。

「このアイデアつまらないよ」なんて言われたら次から出せなくなるじゃないですか。100のつまらないアイデアの中に1個いいものが見つかるかもしれないのに、そう言われたら人格否定されたような気持ちになって、怖くてもう何も出せなくなっちゃう。

加えて、ヒエラルキーのある会社だと、決済権のある人の好みのものを探してしまってうまくいかなくなる。いまはなんだか社会全体がそういうふうになっているような気がするんですよね。先生に好かれるもの、クラスでバカにされないものを出すことに力が注がれていて、それはすごく間違っていると思います。

山根 類塾でときどきアンケートを取るんですが、その中に「なんのために勉強をしていますか?」という設問があって、昔は「志があってこういうことがしたい」という回答が多かったのが、最近は「親が喜ぶから」と「周りがやっているから」という回答が2トップなんです。そこに合わせるような勉強になっていってる。

ひきた 子どもは親にカスタマイズしていくからね。

山根 先ほどの話の続きで、自分は自信を持っていいんだということを引き出すことは、すごく必要だと感じています。ひきたさんからよく、博報堂時代のエピソードとしてキャッチコピーを100個書いて持っていくとか、そのために本屋を何軒も回ったという話を聞くと、それくらい自信を持っていろんなことに臨めるようになれたらいいと思います。

ひきた キャッチコピーを100個出せるのも、出したあとにエールを贈ってくれる人がいるからできるのであって、たとえそのコピーが駄作だったとしても、作ったものに対するリスペクトがあったからだよね。

第3話 探求しよう/シンプルに自分が思ったことを書けることがだいじ/社会の中での読解力も身に着けたらもっと楽しくなるよへ続く。